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【一聞百見】魅せる靴磨きで人もピカピカに MA靴磨きin宇治代表・赤塚誠さん - 産経ニュース

店舗を持たない靴磨き職人の赤塚誠さん=京都府宇治市(根本成撮影)

ここ数年、ファッションのカジュアル化が進み、気づけばスーツにスニーカー姿の人が増えた。憧れの海外ブランドの革靴も円安でますます高根の花に。いわば靴磨き職人受難の時代。にもかかわらず、店舗を持たないで顧客を増やしている靴磨きの職人「シューシャイナー」が京都府宇治市にいる。「M│A靴磨き㏌宇治」の代表、赤塚誠さん(36)だ。転職を重ねて天職を呼び込んだ赤塚さんの波瀾万丈の人生とは。

フリーランスの職人

初めて赤塚さんに会ったのはこの夏、ある百貨店で行われたイベントだった。知り合いの時計商から「革製品を、ぜひお持ちください」と連絡を受け、革靴2足をかばんに入れ、会場に足を運んだときである。

「あっ、ブーツ、同じですね。セットアップも私のとよく似ている…」

その靴を手渡すとき、彼は帽子の下の、ちょっとこわもてな表情を和らげて言った。確かに、着ているベストと同じ生地製の太めのスラックスを着けた彼は、私がそのときにはいていた英国製カントリーブーツの色違いを合わせていた。

赤塚さんは、靴磨き職人である。それも、師匠は2017年にロンドンで行われた靴磨きの世界選手権で初代チャンピオンに輝いた長谷川裕也さんだというのだから、客の装いに注意を払うのも当然であろう。

長谷川さんは、靴磨きをファッショナブルなものへと止揚した人物である。おしゃれなスーツに身を包み、隠れ家のような自身の店舗のカウンターの上で、顧客の靴をピカピカに磨き上げる長谷川さんの姿を映像で見たという人も、いるのではないか。

ブラシを使って丁寧にワークブーツの汚れを落とす赤塚さん=京都府宇治市(根本成撮影)

赤塚さんはその弟子というのだから、このときの所作もスタイリッシュだった。コンパクトなジュラルミンケースから、びんに入ったクリームやワックス、布などを取り出し、やおら黒のストレートチップを手に取る。靴を触って革質を確認し、ブラシなどで汚れを落としたあと丁寧にクリームを塗り込んでゆく。

さらに、つま先部分はワックスをかけてピカピカに仕上げていった。「鏡面仕上げのときは、こんなふうに少し水を加えてください」などと、おしゃべりしながらも、手は軽快に動かしている。

その昔、料理研究家のグラハム・カーが司会を務める「世界の料理ショー」というテレビのバラエティー番組があった。それまで台所で静かに行われていた調理という行為を、彼は軽妙なおしゃべりと見事な包丁さばきによって鮮やかなショーへと昇華させ、人気を博したが、赤塚さんの靴磨きも、どこかそれに似ている。

「こっちを見ていてください。もっとピカピカになりますから」

いつの間にか、もう一足のコードバン(馬の革)のVチップシューズも、顔を近づけたらきれいに映るのではないかと思うほど輝いている。「コードバンは水に弱いといわれますが、磨くときには少量を補ってやってください」

靴だけではない。別の客が持っていたクタクタになった有名ブランドの革財布も、赤塚さんの手にかかれば新品のようによみがえっていた。

こんなお店が近くにあれば便利だと思うのだが、実はフリーランスの靴磨き職人である赤塚さんは店舗を持っていない。宇治市を拠点に、集荷したり、出張したりしながら生計を立てているのだという。

改めて話を聞くため、宇治に向かった。

天職に出会うまで職を転々

あかつか・まこと 昭和62年、京都府宇治市出身。東海大学国際文化学部卒業後、飲食関係の会社に就職。その後、アパレル業界や革靴、高級時計の販売会社に勤めた後、平成30年に靴磨きの初代世界王者、長谷川裕也氏に弟子入り。昨年、生まれ故郷の宇治市に戻り、「M│A靴磨きin宇治」(090-5078-6025)を開業、フリーランスの靴磨き職人として活動している。

赤塚誠さんは拠点の宇治市を含む京都府南部のほか、京都市内や大阪府枚方市、交野市、滋賀県の一部は連絡さえもらえれば靴を引き取りに行き、宇治の自宅兼作業所でピカピカに磨いて、顧客のもとに届けている。その発想は昔、近所の飲食店でやっていた「出前」がベースになっているらしい。

靴磨きの世界選手権で初代チャンピオンに輝いた長谷川裕也さんに師事し、長谷川さんのもとで店を任されるようになったまでは良かった。その途端に新型コロナ禍になり、お客さんが来なくなった。そんな経験もあって、独立する際に「出前」のスタイルを思いついた。

「そもそも重い靴を店に持っていくのが面倒くさいという人も多かったんですよね。それなら、自分の方から靴を受け取りに行けばいい。自分が動くようにすれば、多くの人にも知ってもらえる」

顧客は自分の住まいの近くばかりではない。北海道から九州にまで広がっているそうで、彼らは磨いてほしい靴を赤塚さんのもとに郵送してくる。

「基本は鏡面磨きのある3000円と、それがない2000円のコース。女性のものやスニーカーも磨きます。依頼があれば、百貨店やカフェバーにもうかがいます。会社の福利厚生で呼んでもらったりもしますね」

宇治生まれの宇治育ち。父親が少年野球の監督だったこともあって小さな頃から野球をしていた。強豪・京都外大西高校に投手として入ったものの、1年のときにけがで退部した。

大学時代、陸上競技の大会のやり投げ種目で出場した赤塚さん(本人提供)

しかし、肩の強さが見込まれて陸上部から声が掛かった。「やり投げで、京都で1番になったおかげで推薦をもらって東海大学に進み、札幌キャンパスで4年を過ごしました」

就職は最初に受かった飲食業界に進んだ。東京の店舗でがむしゃらに働いたおかげで、100キロを超えていた体重は半年で70キロ台に。スマートになったことがきっかけになってファッションに目覚め、宇治に戻ってアパレル業界へ飛び込んだ。

「店が奈良の西大寺にあったので実家から通っていました。そこのマネジャーが靴好きな人で、それがきっかけになって良い靴を買い始めたんです」

というわけで3年ほど勤めたファッション業界から靴の専門店に移る。京都や神戸に勤め、高級靴の基本や接客などをみっちり学んだ。ところが、30歳を前にして、今度は高級時計の販売の道へ進む。

「クオーツと自動巻きの違いも分からなかったんです。触ったことがある時計といえば、陸上をやっていた頃のストップウオッチくらい。でも、いつまでも勤められる仕事といえば時計だろうな、と思って飛び込んでみました」

パテックフィリップにヴァシュロン・コンスタンタン、ブレゲ、ロレックス…。百貨店の外商で扱った高級腕時計は数知れない。それが、どうして靴磨きの世界に進んだのだろう。

弟子入り3年で独立

きれいに磨いたワークブーツを手にする赤塚誠さん=京都府宇治市(根本成撮影)

赤塚誠さんが高級腕時計店に勤めていた頃だった。「時計の勉強もしたし、どうやったら売れるのだろうと、のめり込んでもいました。でも、これからというときに転勤の打診があって…」

そんなとき、イベントで東京に出張する機会があり、靴磨きの世界選手権で初代チャンピオンに輝いた長谷川裕也さんの店「ブリフトアッシュ(Brift H)」(東京都港区)を訪れた。

「心が動きましたね。酒を飲み、いろいろな話をしながら、1時間かけて自分の靴をきれいに磨いてもらえる。『こんな時間の過ごし方もあるんやな。これや』とビビッときました」

ワンルームのマンションで、おしゃれなスーツを着込んで客とトークをしながら靴を磨くビジネスは、これまで自分がやってきたこと全てを生かすことができるではないか。しっかりやっていけば、独立もできるに違いない。

そう思うと、いてもたってもいられなくなり、そのまま弟子入りを申し込んだ。「15分くらいなら時間があるよ、と言われ、南青山の喫茶店に行って弟子入りを申し込むと、『思いは分かった』と。当時磨き手5人、裏方5人の10人くらいでやっていた店でしたが、『とりあえず3年やって出ていくのならいいよ』と言われ、時計販売店を退職することにしました」

地元に戻り、交際中だった女性と結婚すると、再び東京にとって返した。期限は3年と限られている。「1年目は仕事を覚え、2年目はお客をつかまえ、3年目はそれを強化するよう目標を立てました」

たまに話し好きでない人もいる。輝いている靴の方がいいという人や逆に光沢がない、マットな方がいいという人、濃い色の方が好みの人もいれば、薄い色が好みの人もいる。客のニーズは千差万別。

「お客さんに普段はこの靴をどうはいているか、とか、どういうところにはいていきたいかなどを聞いて、こっちから提案したものを選んでもらうというふうに進めていきました」

長谷川さんのもとで勤めて1年後、東京・虎ノ門の新店舗の経営を任された。赤塚さんが靴を磨いている間、バーテンダーの作るカクテルを楽しめるという店である。

開業後、コロナ禍に襲われた。自腹で通った新橋や銀座の店の人たちが来てくれるようになり、何とか2年を持ちこたえ、約束の3年後である昨年から宇治に戻って現在の活動を始めたが、成算はあった。「京都駅から南、大阪の枚方などを含め、人口100万人のエリアには修理や磨き屋がない」のだという。

「中小企業の経営者の会などを回ったりしながら、信頼をいただけるようになってきました。やっぱり口コミは強いですね。行った先の飲食店の店主たちと仲良くなって多くの人に広めてもらうように努めています」

この夏からアフリカ産の生地を使った横浜未来堂製の浴衣を着て活動している。「キャラを作ろうと思ったんです。これでタスキをかけて靴を磨いていると、外国人の食いつきがよくて。目立つんですよね」

実は自分の活動が、大好きな地元・宇治の活性化につながれば、といつも思いを巡らしている。「きれいな靴は会う人への礼儀です。いつか、『良い職人がいるから、宇治の人はみんな靴がきれいね』と言われるようになればいいな、と考えているんです」

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