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時間感覚のない長いトンネルの中で/『ニューヨーカー』を読む:#17 「ALVIN」 - WIRED.jp

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1925年の創刊以来、時事と連関した良質なエッセイやノンフィクション、小説などを掲載し続ける雑誌『ニューヨーカー』は、英語圏で小説を書く者ならば、誰もが憧れる圧倒的な影響力をいまも誇っている。トルーマン・カポーティーやレイチェル・カーソン、JD・サリンジャー……とそこに名を連ねた名文筆家たちは枚挙に暇がない。

まさに米国文学の屋台骨ともいえるその誌面から、作家・新元良一が毎月ストーリーを厳選し、ひもとく当連載「『ニューヨーカー』を読む」。今月は気鋭のデンマーク人作家ヨナス・エイカの「ALVIN」を取り上げる。ライフスタイル、ワークスタイル、コミュニケーション……。パンデミックは、わたしたちの日常に多くの変化をもたらした。「時間感覚」もそのひとつかもしれない。

ALVIN」|JONAS EIKA
前妻の浮気とそれに伴う妊娠にショックを受け、離婚後、いまは独身でスペインにて暮らすコンピューター・プログラマーの主人公。クライアントである銀行からの依頼で、故郷デンマークに出かけることになったが……。突然、男性が銃弾に撃たれたように倒れる光景を目撃したり、乗客が誰もいない客室にひとりで席についたりと、時間のバランスが突如乱れ、日常から別次元の空間に迷い込んだ主人公が描かれる。『ニューヨーカー』誌2021年4月19日号に掲載。
新元良一|RIYO NIIMOTO

1959年生まれ。作家、コラムニスト。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務めたあと、2016年末に、再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に『あの空を探して』〈文藝春秋〉。ブルックリン在住。

先日インターネットで日本のラジオを視聴していたら、番組の司会者が時間の感覚がおかしくなっていると話し、そんなふうに感じるのは自分だけではないのかと思った。

パンデミックはさまざまな局面で、われわれの生活に大きな影響を与えた。その影響は身の周りのことに留まらず、社会全体にも及ぶスケールである。

ここニューヨークでも、いつもなら賑やかな人通りで知られるタイムズ・スクエアなども、この春先に筆者が通ると閑散とし、よその街に来たようであった。また街の地下鉄も、車両に自分以外誰ひとり乗客がいない状況は、異様を通り越し、薄気味悪さすら感じたものだ。

ヨナス・エイカ|JONAS EIKA

作家。1991年デンマークのハスレヴで生まれまる。2015年に小説『Lageret Huset Marie』でデビュー。18年に発表した短編小説集『Efter Solen』で、デンマークの文学賞である「Michael Strunge-prisen」や「Montanas Litteraturpris」「Blixenprisen」などを受賞。19年には「Nordic Council Literature Prize」を受賞している。

外出が減ったことで季節感が得られなくなり、時間の感覚に支障をきたしたのも理由だろう。だがパンデミックの影響で、自分が現在いる環境がまったく新しく、そして閉じられた世界へと変わったことが、時間の流れが止まったと思う原因ではないのか、とつい想像したくなる。

『ニューヨーカー』誌2021年4月19日号掲載の「ALVIN」は、時間のバランスが突如乱れ、日常から別次元の空間に迷い込み、徘徊する主人公を描く。SF的とも位置づけられる手法により、デンマーク人作家ヨナス・エイカは、時間と人間との、不確かで離れようとしても離れられない関係を創り出している。

前妻の浮気とそれに伴う妊娠にショックを受け、離婚後、いまは独身でスペインにて暮らすコンピューター・プログラマーの主人公は、仕事柄、出張することが多い。とある銀行からの依頼を受け、故郷デンマークに出かける運びとなったが、出発時に空港で男性が銃弾に撃たれたように倒れる光景を目撃したり、乗客が誰もいない客室にひとりで席についたりと、本人曰く「虚構」の体験をする。

しかし旅の道中だけでなく、滞在先であるコペンハーゲンではさらなる奇妙な出来事が待っていた。

到着後、さっそくクライアントの銀行に向かったが、その会社が入居するビルが倒壊し、大理石や鉄筋といった建造物の内部がむき出しになっていた。現場近くにいた警察官によると、幸い犠牲者はいなかったが、何かが爆発した可能性があると主人公に話しした。

仕方がないので食事をとろうと近くのカフェに立ち寄ったところ、隣の席に20代と思しき青白い顔色の男性が座った。「ちょっと、あんた」と声をかけてきた男性は、主人公が食べている品をたずね、同じものを注文して、彼らふたりのやりとりが始める。

取引先の銀行がその夜の宿を用意すると聞いていたが、災害により崩壊した建物では連絡をしても取り次ぐ人間はいない。事情を知ったアルヴィンと名乗る隣の席の客は、宿泊場所がないのなら自宅に来たらどうかと誘い、主人公は相手の好意を受け入れ、世話になることとなった。

たどり着くと屋根裏スペースに設けられた居住空間で暮らすアルヴィンは、殺風景な自宅でひとり篭って、デイ・トレーダーの仕事をしていた。どうやら裕福な家庭で育ったらしく、手元の資産を使ったデリヴァティヴ(商品の価格変動のリスクを回避するための契約)取引で、彼は生計を立てている様子だった。

「商品価格なんてものは、もうどんな価値も過去や現在にも委ねられてはいない。まさに未来からの幽霊なんだよ」(拙訳)

そんなふうにつぶやくアルヴィンの傍らで、主人公自身も試しにデリヴァティヴ取引をしたところ、不思議と自分に向いているような居心地のよさを感じる。そうこうするうちに、彼はその家に住み着くことになった。

同じ屋根の下で暮らしていると、アルヴィンの異様な習癖が目にとまる。

そのひとつが、外食したときの店での彼の注文の仕方だ。同じ料理を5つも頼み、テーブルに並んだ皿を吟味したのち、常にそのなかから一品だけを選び食べる。「まがい物は口にしたくないから」と理由を話すアルヴィンだが、不健康な顔の色も手伝い、そんな彼をながめながら、主人公は哀れに感じ始める。

主人公の居候生活が長くなるにつれ、ふたりはより親密な間柄になっていく。同性愛を思わせる場面もなくはないが、筆者が関心を寄せたのは、自分たち以外の人間との接触がほとんどない状況で、その空間がまさに時間が停止したかのような世界になるところだ。

“時間が停止している”と書いたが、それは時間の流れがなくなり、その地点からどこへも行かないわけではない。まるで動かないかのように思えても、未来とはどこかでつながっている、といった思いが伝わってくる場面が出てくる。

コンピューターを使った金融取引に興味を抱き、自身も参加していく主人公に、その手ほどきをするアルヴィンだが、デリヴァティヴとは「約束と期待が合わさる有効的なアート」「商品は事前に存在するものだと学ぶことが必要」などのアドヴァイスを与えつつ、下水管を例えに挙げ、未来とのつながりに言及する。

下水管はひとつの方向にしか進めない、当たり前なんだけどね。いまいる地点を背にした方向へいくというわけだ。だけど、一歩進むたびに止まって、自分のいる地点を、得か損かで売ることだってできる。でもそいつは、トンネルを抜け出たところの光が、どれくらいの明るさで、その地点にいるぼくたちそれぞれの目に、間に合うよう輝くかによるんだよな。(拙訳)

どことなく謎めいた文章だが、“希望”をキーワードにして読んでいくと、作者の意図、さらにはわれわれが向き合う現実にも符合するのが見つかる。

長く暗い、そして行動範囲が限られる下水管は、終わりがなくどこまでも続くように感じさせる。一体いつになったらそこから抜け出し、明るい光のもとで何も気にせず、動き回れるのかと思うと焦り、気が滅入ってくる。

つまり下水管の中にいる者が欲するのは、自由である。這いながらゆっくり前進してはいるが、狭苦しい空間を見渡しても、先の小さな光以外、視界に入るものはほとんどなく、投げやりな思いにかられてしまう。

こうした停滞した状況は、パンデミックで自由を奪われたわれわれの身を想起させる。果たして自分や社会は前へと歩んでいるのか、この状態から抜け出すことなどもうないのではないのか、そんな不安が募る。

その陰鬱な気持ちには、ワクチンの接種や行政からの支援など、効果が期待できる解決策がある。だがそれ以上に、現在のわれわれにとって必要なのは、この代わり映えのない状況も、時間が過ぎれば、いつかは好転するという前向きな姿勢なのだ。

それが、下水管の終わりにあるはずの光である。引用した最後の一行は、何もかも諦め、捨て鉢になる前に、終わりが見えない苦悶の状態のなかにいても、 “終わり”は必ずやってくると希望の光を自分自身にもたせ、それを輝かせることで活路も開かれると読み取れる。

本作においても、結末に近づいて、主人公とアドヴィンたちに転機が訪れる。虚構のような世界から主人公は、やがて現実へと回帰していくのだが、アドヴィンと生活をともに過ごした時間は喪失されず、彼のなかで根を下ろし存在を残す。

彼との時間の記憶はこれからの人生を生きていくため、主人公にとっての支えになるのだろう。ふたりで過ごしたその幸福な時間は、実は今後起こることであり、その意味において、アルヴィン自身が“未来からの幽霊”なのかもしれない。

現実は言うまでもなく厳しく、落ち込んでしまいそうなときもある。しかしそんな試練も、非現実的な世界で培ったものが癒し、明日へと向かうよう励ましてくれるだろう。

時間感覚のない長いトンネルで、自由を求め、たとえゆっくりでもひたすら進むという経験は、そういうもののように思える。

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