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【コラム】尹美香はどのように「神聖な権力」になったのか(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース

 韓国社会を揺るがせている「挺(てい)対協」の始まりは素朴だった。1990年春、梨花女子大学大学院女性学科の1年生たちが盧泰愚(ノ・テウ)大統領の訪日を前に「慰安婦問題について日本から謝罪を受けねばならない」として意気投合したのが最初の一歩だった。その年の11月、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が発足し、翌年に金学順(キム・ハクスン)さんの歴史的な証言が出た。1992年1月8日には最初の水曜集会が開かれた。  当時、女性学科の学生で挺対協の活動家としても活躍したある女性は、30年前のことを思い起こしながら興奮した声で「全員が情熱だけで動きました。支援を受けるなんてとんでもないです。自分の金を使いながら飛び回りました。ただおばあさんたちだけを見ていました」と語った。1歳になったばかりの子どもを背負って水曜集会に参加した記憶については話すときに声を詰まらせた。「大きくなった子どもが(挺対協疑惑の)ニュースを見てどうなったのかと聞いてきました。お母さんも整理がつかないので時間をくれと言ったんです。本当に胸が痛いです。信じられないです」

 李容洙(イ・ヨンス)さんの暴露から始まった挺対協(正義記憶連帯の前身)と尹美香(ユン・ミヒャン)当選人の相次ぐ横領・背任疑惑に最も衝撃を受けたのは初期の活動家たちだ。さまざまな事情で挺対協を去った彼女たちにとって、尹美香氏は挺対協と同義語であると同時に敬畏の対象だったからだ。  日本軍慰安婦問題をやや疑問視してきた研究者たちは「挺対協覇権主義が今の悲劇を生み出した」とみている。「慰安婦問題は全て挺対協を通さねばならない」という独裁の下で、小さな反対の声も認められなかったというのだ。慰安婦問題に対するさまざまな見方や解決策は即座に「親日」と見なされた。女性学者のキム・ジョンラン氏は2004年、梨花女子大学の博士論文でこのような問題提起をしている。キム氏は挺対協が戦時女性の性問題である慰安婦というイシューを民族抹殺のシンボルにのみ置き換え、歴史的事実まで歪曲(わいきょく)したと批判した。日本の資金を受ければ裏切り者とレッテルを貼り、被害女性たち個々人の意見を抑圧する教条主義的な動きを示したとも批判した。「挺対協はおばあさんたちではなく、組織と活動家たちのために運動をしているのではないのか」と指摘した部分は、今の悲劇を予見したかのようでびっくりする。「日本がつくった国民基金を受け取った場合、被害女性たちはバラバラになり、慰安婦運動は破局を迎えるとの恐怖があったのだ」

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May 22, 2020 at 12:56PM
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