京都仙洞御所内で見つかった「京都新城」跡とみられる石垣=12日午後、京都市上京区
豊臣秀吉(1537~98年)が最後に築いた城「京都新城」跡とみられる石垣や堀、金箔瓦が京都御所(京都市上京区)の発掘調査で初めて見つかり、市埋蔵文化財研究所が12日、発表した。当時は太閤御所や太閤御屋敷、新城と呼ばれていたが、文献史料も少なく、実態不明の「幻の城」だった。
晩年の秀吉は、伏見城(京都市)や大坂城(大阪市)などに住んでおり、朝廷があった京都をどのように捉えていたのかなど、政権構想がうかがえる遺構だという。
京都新城は当時の公家の日記などから、東西約400メートル、南北約800メートルの広大な敷地とされるが、詳しい構造は不明。関白の公邸だった聚楽第を取り壊した後の1597年、東に1キロ余り離れた場所に築城。御所内裏の南東部にあり、秀吉の子の秀頼が上洛時に訪れたほか、秀吉の死去後は正室の高台院(ねね)の屋敷となった。江戸時代には退位した天皇の住まいとして用いられた京都仙洞御所が造られた。
消火設備の整備のため、京都仙洞御所内を発掘調査し、長さ約8メートル、3、4段の石垣(高さ約1~1.6メートル)を確認。野面積みと呼ばれる技法で自然石を積んでいた。本丸の西堀の石垣とみられる。本来の高さは約2.4メートルで石が5、6段に積まれていたと推定。
京都仙洞御所内で見つかった金箔を施したキリ紋の瓦=12日
同時に発見された堀は、表面波探査で幅約20メートルだったとみられ、中からは転落した石垣の石や金箔を施した菊紋、豊臣家を示すキリ紋の瓦が発見された。石垣の上部は、関ケ原の戦い(1600年)の直前に敵味方を問わず拠点として利用されて、戦渦に巻き込まれないよう崩された可能性があるという。
消火設備の建設場所は変更され、堀と石垣は保存される。今後は埋め戻される予定で、新型コロナウイルスの感染拡大の影響から、現地説明会や一般公開は行われない。
森岡秀人・関西大大学院非常勤講師(考古学)の話 一般の知名度が低い京都新城はこれまで実在を証明できる考古資料を欠いていた。地下深く埋もれていた石垣は、構造や金箔瓦などから慶長2年(1597年)築造のものに違いなく、豊臣政権下、聚楽第破却後の拠点の移動を示す城郭遺構として立証された意義は大きい。石垣は20メートルの堀幅を備え、頑丈かつ見事な造りで、秀吉・秀頼の往来をほうふつとさせる。天下人が変転する前夜の「日本史中枢の激動」を肌で感じさせる。
〔共同〕
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May 12, 2020 at 04:50PM
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秀吉の「幻の城」発見 御所から石垣、金箔瓦 - 日本経済新聞
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