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戦前、陸軍の青年将校らがクーデターを企て、政府要人らを殺害した「二・二六事件」から26日で84年です。事件は昭和史の大きな転換点になったとされ、関係者が高齢化で少なくなる中、次の世代にどう伝えていくかが課題となっています。
26日、青年将校らの墓がある東京 港区の寺で遺族で作る「仏心会」が慰霊の法要を行い、遺族をはじめ、およそ30人が祈りをささげました。
事件は、近代日本最大の軍事クーデターと言われ、その後、軍部の力が拡大し、戦争へと突き進む昭和史の大きな転換点になったとされています。
事件のあと、青年将校らは処刑され、遺族は毎年、慰霊の法要を行ってきましたが、50年前に200人ほどいた参列者は、高齢化などのため年々減っているということです。
遺族たちは今後の活動について話し合いを進めていて、事件を次の世代にどう伝えていくかが課題となっています。
「人の命を奪うことだけは許されない」
処刑された青年将校の1人、安田優少尉の弟の善三郎さん(94)は「いずれは仏心会も消えて行く運命ではないか。ただ、二・二六事件自体は、日本の歴史に残ると思う。事件の教訓をどう生かすかということを考えると、その人の立場によって解釈が違うと思うが、人の命を奪うことだけは許されない。これは誰がなんと言っても私は変わりません」と話していました。
「日本の国にとって大変嫌な出来事だった」
当時、海軍の陸上部隊の一員として、陸軍の決起部隊への対処のため出動した、新潟県十日町市の中林秀一郎さんは、先月、100歳で亡くなりました。
中林さんは当時、海軍に入ったばかりの16歳で、海軍省で青年将校らの監視や警戒にあたりました。
中林さんは去年、NHKの取材に応じ、事件について「初めて実弾を300発渡された。まかり間違えば陸軍と東京で市街戦になる。そんなばかなことはないと、いちばん海軍に入って嫌な気持ちがしました」と話していました。
長男の英一さん(69)は「青春のまっただ中で出動して大変苦労もあったと思います。父は、二・二六事件について、日本の国にとっても大変嫌な出来事だったとよく言っていました。そして、今の平和がいちばん大切なんだと話していました」と振り返っていました。去年6月には、青年将校の一人で事件後に処刑された対馬勝雄中尉の妹、波多江たまさんが104歳で亡くなっています。
「日本が戦争へと向かう歴史の転換点だった」
そのうえで「事件が終わったあと、陸軍を中心にいろんなものにふたをして、情報すらも当時の軍部が封印してしまった。当事者がだんだん少なくなってくると、残された記録以外に頼る方法はない。できる方法で、当時のことを少しでもより深く知って、二・二六事件の意味を明らかにしていくことが必要ではないかと思う」と話しています。
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February 26, 2020 at 04:31PM
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二・二六事件から84年 課題は次の世代にどう伝えるか - NHK NEWS WEB
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