文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2017年10月号 No.95
山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
日本の登山靴の父といえば、やはりこの人になるのではないだろうか。
私が登山を始めたのは、もう30年以上前の1987年。そのときに初めて買った登山靴が「キャラバンシューズ」という濃紺の靴だった。
確か値段は6,000~7,000円くらい。なぜこれにしたかというと、いちばん安かったからである。正確にいうと、もうひとつ理由がある。スカルパもローバーも知らない初心者にとって、唯一、耳になじみがある名前が、この「キャラバンシューズ」だったのだ。
それくらい、当時「キャラバンシューズ」という名前は一般にも知られていた。いまでいう「トレッキングブーツ」と同じような意味合いで使われており、要するに「セロテープ」みたいなもの。キャラバンシューズが商品名であることを知ったのは、登山用具店でそれを購入したときだった。
いってみれば「国民的登山靴」。実際、そのように呼ばれることもあったキャラバンシューズ。それを開発したのが佐藤久一朗である。
1901年生まれの佐藤は、大正時代に慶應義塾大学山岳部に所属。先鋭的な登山家として知られていた槇有恒や大島亮吉の後輩にあたり、いっしょに槍ヶ岳の冬期初登頂を果たしている。穂高屏風岩に「慶應尾根」と呼ばれている尾根があるが、佐藤はその初登攀メンバーでもある。
登山のほかにも、佐藤には特殊な才能があった。手先が器用というか、ザックや靴などを自分で作ってしまうのである。そのいくつかは現存しており、機能的な完成度だけでなく、アーティスティックなデザイン性にも驚かされる。 芸術や工作の教育を受けたことはなく、趣味としてやっていただけというが、工作技術もアートセンスも相当に高かったことがうかがえる。上高地にあるウエストンレリーフは佐藤が作ったものであるといえば、そのことがわかってもらえると思う。
そしてこのことが、キャラバンシューズの誕生にもつながった。
1950年代、ヒマラヤの8,000m峰マナスルの初登頂をねらう日本山岳会隊の隊長を務めていた槇有恒は、佐藤にアプローチ用の靴の製作を依頼。麓からベースキャンプまでは、登山靴では重すぎる。もっと歩きやすい靴が必要だ。しかし当時、そんな用途に合う靴はない。そこで槇は、佐藤の物作りセンスを思い出す。
「キュウちゃんなら作れるだろ」
そしてできあがったのがキャラバンシューズだったのである。 ポーターを雇って大人数で進んでいくヒマラヤ登山のアプローチは、砂漠の隊商をもじって「キャラバン」と呼ばれていた。そこで履く靴だからキャラバンシューズ。帆布のアッパーにゴムのソールを備えたこの靴は、片足500g以下と、現在のトレッキングブーツと比べても軽量だった。
これが登山隊員たちに大好評で、佐藤は量産化して市販することを思いつく。同時に、そのための会社を設立(現在ではグランドキングの開発や、レキやザンバランの輸入販売でも知られるキャラバン社)。1954年に販売を開始したキャラバンシューズは、マナスル初登頂を契機とした一大登山ブームにものって大ヒット。一時は年間20万足も売れたという。
キャラバンシューズがこれだけ受け入れられた理由は、まずは似たような製品がなかったこと。それまでの登山靴は重くてゴツく、逆に一般の運動靴は、やわらかすぎて山で使うには耐久性にも欠けた。その中間を担う靴が存在しなかったのである。そして、金のない学生の私でも買えたことが示すように、価格が安かったこと。冬山も岩登りもやらない普通の登山者にとって、まさに待ち望んだような靴だったのである。
結果的に、キャラバンシューズは日本のトレッキングブーツの源流となり、その後の「登山靴界」を大きく変えた。だが、佐藤がそうした未来を思い描いていたのかどうかはわからない。逆に、マナスルで使える靴を作ったら、日本の市場でも思った以上に当たっちゃった、というところが真実なのではないかと思える。
好きなことを好きなようにやった自由人。佐藤久一朗という人は、そんなイメージが強い。キャラバンシューズの大ヒットも、「おうおう、よかったなあ」くらいに、気負いなく眺めていたのではないだろうか。
佐藤久一朗
Sato Kyuichiro
1901~1984年。山形県出身の登山家・実業家。慶應義塾大学山岳部で登山を始め、1922年に槇有恒らとともに槍ヶ岳の冬期初登頂に成功。マナスル登山隊に提供したシューズの製作をもとに、1954年に山晴社(現キャラバン社)を設立。キャラバンシューズを国民的登山靴と呼ばれるほどのヒット商品に育て上げた。
https://www.caravan-web.com
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