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「解散」からの逆転劇 優勝争うバスケ仙台89ERS - 朝日新聞デジタル

 仙台市を本拠とするプロバスケットボール・仙台89ERS(エイティナイナーズ)が好調だ。東日本大震災から10年を迎える節目でのリーグ優勝を目指し、開幕から5連勝するなど首位争いを繰り広げる。震災で一時、「解散」に追い込まれたチームが、わずか半年後に起こした「奇跡」。それを支えた地域への恩返しの気持ちを胸に、きょうも戦う。=敬称略

 B2東地区のナイナーズは10月2日のリーグ開幕戦で勝利。会場の宮城県名取市民体育館はブースターと呼ばれる758人のファンで黄色く染まった。コロナ禍で観客は集客人数の半分に抑えられたが、チケットは完売。社長の志村雄彦(37)は「(コロナ禍で)無観客試合を経験して、改めてファンの大切さに気づいた。勝利を届けられてうれしい」と、ほほえんだ。

拡大する写真・図版10月17日に本拠地・ゼビオアリーナ仙台であった仙台89ERSと熊本ヴォルターズとの一戦=仙台市太白区

信号消え、本拠地の天井ははがれ…

 仙台市の「ゼビオアリーナ仙台」が本拠地だが、今年初めて名取市で開幕戦を開催した。今後も仙台市、南三陸町や塩釜市など、宮城県内7市町を回る。「NINERS HOOP」と題した、震災をともに乗り越えてきた地域に感謝を伝える活動だ。

 「名取は震災後すぐにボランティアで行った。近くの避難所で子どもたちとバスケしたのを思い出します」。当時、志村は選手だった。仙台市出身で、後に「ミスターナイナーズ」として人気を博した。

 ナイナーズは2005年に旧bjリーグに所属する東北初のプロバスケットチームとして誕生。チーム名の「89」は1889年に仙台市ができ、その100年後に政令指定都市になったことにちなむ。

拡大する写真・図版震災時は選手だった仙台89ERSの志村雄彦社長。左はマスコットのティナ=2020年10月17日、仙台市太白区、大宮慎次朗撮影

 2011年3月11日。リーグ2位の好位置につけていたチームを東日本大震災が襲った。志村は新潟に向かう遠征バスの中で、大きな横揺れの後に、縦揺れを感じた。バスのモニターには仙台空港が濁流にのまれる映像が流れた。試合中止の連絡を受け、山形を経由して下道で帰った。

 仙台に着いたのは翌日夜だ。道路はひび割れし、信号も消えて真っ暗。「仙台でもうバスケはできないかもしれない」と思った。

 当時の社長の中村彰久(49)の提案で、当面の間は市内の消防学校で物資搬入を手伝うことになった。震災から3日ほどたった夕方、段ボールに囲まれた一室に、選手を集めた中村は、こう言った。

 「(当時本拠地の)仙台市体育館の天井がはがれて試合ができなくなった。クラブ存続は厳しい。『解散』になる」

 誰からも返事はなく、長い沈黙が流れた。言葉は聞こえていても、頭が理解することを拒んでいた。

 中村は、選手の受け入れ先を探…

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