今月から新たな所属事務所「プラチナムプロダクション」に移り、心機一転、スタートを切った俳優・川崎麻世さん(57)。歌手デビューから43年の大きな決断でしたが、移籍の理由、そして、そこに至るまでの葛藤。今の思いをストレートに明かしました。
舞台中止。そして、収入減
前の事務所には30年お世話になりましたし、本当にいろいろ考えての決断でした。もともと「今後、自分はどうしていくべきか」ということは考えてはいましたが、それをさらに強く考えたのはコロナ自粛が始まってからでした。
次々と舞台が中止になっていく。イベント出演もキャンセル。もちろん、その分の収入もなくなる。否応なく、これからの自分について深く、深く、考えることにもなりました。
これまでは完全に舞台中心のスケジュールでした。これはありがたいお話でもあるんですけど、舞台は2年ほど先のスケジュールまで決まってくるんです。そうなると、ドラマのお話や他のお仕事をいただいても、もうスケジュールを空けることができない。
仕事をしてないわけじゃないし、一生懸命させてもらっているし、達成感もあるんです。ただ、もっと、もっと川崎麻世を知ってもらうことをやっていかないと、時代に置いていかれるのでは。その思いが年々強くなり、特に今回のコロナで大きくなりました。
今の子どもたちや学生さんたちにも「川崎麻世って、面白いね」とか「こんな一面もあるんだ」ということを知ってもらいたい。今の人、これからの人にアピールすることをやっていかないと、この先へと続かない。それをすごく感じたんです。
重ねて言いますけど、舞台は本当に大切です。今の僕を作ってくれましたし、これからも大事な場です。ただ、何かを変えようとするならば、どこかで一歩踏み出すことが求められる。それを考えた時に、今がそのタイミングだと思ったんです。
正直な話、これまでの僕のイメージは良くも悪くも、定まっていると思います。“夫婦げんかの人”“離婚するする商法の人”。客観的に考えて、それが皆さんのイメージだと自分でも思います。そういうイメージからの脱却というか、新たな面も知ってもらって、世の中のイメージを上書きしていく。それが今、57歳になった自分に必要なことなんだろうなと。
昔は俳優がバラエティーに出ると安っぽく見えると言われた時代もありましたけど、今はそうではない。皆さんが思ってらっしゃるイメージの中には、当然、カイヤとのこともあるだろうし、ワイドショーで取り上げられてきたイメージもあるだろうし、それも積み重ねてきた事実です。ただ、今後はまた違う素の自分もアピールしていきたいなと思ったんです。
ジャニーさんの教え
心機一転、再スタートを切るにあたって、昔のことを振り返ったりもしました。
これまでの芸能人生で、やはり自分にとって大きかったのは1984年に出演した劇団四季の「CATS」です。当時は、ジャニーズ事務所に所属してましたけど、ジャニーさんも、メリーさんも、僕をミュージカル俳優にするために、本当に力を尽くしてくださったんです。海外の作品もたくさん観せてもらいましたし、事務所としての損得は度外視で応援してくださいました。
自分としても、アイドルからもう一つ違う場所に行くというか、そういう思いも強くなってきた頃で、必死にオーディションにのぞんで、ステージに立つことができました。そこから35年以上、いわば舞台で生活をさせてもらってきたわけですから、間違いなく、僕のターニングポイントというか、礎を作ってもらった原点でもありました。
それと、僕は両親が離婚して父親がいない環境で育ちました。なので、13歳でジャニーズの合宿所に入った時から、ジャニーさんがお父さん、メリーさんがお母さんという気持ちで暮らしていました。
つい先日、ジャニーさんの命日に、改めていろいろなことを考えてたんですけど、思い出はいくらでもありますね。
ジャニーさんって、自分もエンタメの研究するんですけど、僕らにも研究させるんですよ。研究するクセをつけさせるというか。当時、ほとんどビデオデッキが普及してない時代に、すごく大きなビデオデッキが合宿所にはあったんです。そこに僕の出演番組が録画してあって、合宿所に戻ると、それを見せられるんです。
僕もまだ小さいですからね、お菓子を食べたりして、少し目をそらしたりもする。そうなると、ビデオを巻き戻して、また最初から番組を見せられるんです。人前に出る仕事をする以上、自分がどの角度からテレビに映ったら一番良く見えるか。どんな言動をすると、みんなが盛り上がるか。そして、仕事や自分と真剣に向き合うことの大切さ。それを教えようとしてくれていたんだと今は感じています。
あとね、ここからまた新たに頑張っていく中で、今一度、気を付けているのが体のケアです。
役者の売り物は自分の体ですからね。商品を磨く努力がなくなると、いわば、花屋さんが枯れた花を売るようなものですから。この年代になってくると、日ごろの食べ物から、良い一層、気を付けてます。
今月から新たにまた自分を売ってもらうわけですからね。「あの人、老けたね」とか「昔と違うね」と言われないように、トレーニングの強度もかなり上げました。
ま、いろいろ言ってますけど、結局ね、気合ですよ(笑)。特に、この歳になったら、常に気合を入れておかないと、すぐに体が年齢や重力に負けてダラッとしてしまいますからね。鶏の胸肉も2キロ買いこみましたし(笑)、しっかり気合を入れて胸を張れる商品を作り上げたいと思います。
(撮影・中西正男)
■川崎麻世(かわさき・まよ)
1963年 03月 01日生まれ。大阪府出身。「川崎」の“さき”の文字は、正確には“大”の部分が“立”。12歳の時に出演したテレビ番組の視聴者参加コーナーをきっかけに芸能界入り。77年「ラブ・ショック」で歌手デビュー。84年にはオーディションを経て、劇団四季「CATS」に出演。その後も「スターライトエクスプレス」「レ・ミゼラブル」「マイフェアレディ」「クリスマスキャロル」「細雪」など幅広く舞台で実績を重ねる。地元・大阪府枚方市のPR大使も務めている。2020年7月1日からプラチナムプロダクションに所属した。音楽劇「モンテ・クリスト伯」(8月16日~23日、東京・明治座)、朗読ミュージカル「ある家族-そこにあるもの-」(9月20日~22日、大阪・HEPHALL)などに出演する。
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July 26, 2020 at 08:18AM
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