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あの人から私が消えてゆく…認知症家族が抱く絶望感 - 朝日新聞デジタル

 街中の認知症外来の診療所に来院する当事者の内訳をみると、初診時から自分の「ものわすれ」や気分の変化などに気が付いて来院する人もいれば、当初は気づかなかった人が、その後の何年かのうちに自分の能力低下に気づく場合など、それぞれに差があります。一概に「認知症の当事者は自分の病気に気が付かない」とは言えません。今回取り上げるのは初期から自分の認知症がわかり、深く悩んでいた人の話です。

夫の絶望、妻の悲哀

 もう25年近く前になるでしょうか。ある認知症の男性の担当をすることになりました。当時、認知症がある人といえば「何もできない人」といった間違ったイメージが残っている時代でした。

 彼は中迫(なかせこ)雄一郎さん(71歳 男性 仮名)と言いました。前年まで家電会社に勤めていた中迫さんは、特殊な技術を持っていたために定年後も70歳まで仕事を延長して続けました。ところが作業の合間にミスが目立つようになり、職場の同僚や家族、そして誰よりも彼自身が言いようのない不安に襲われるようになりました。

 「かかりつけ医」からの紹介状を持参して、彼は一人で私の診療所を訪れ、少しずつ、ゆっくりと語り始めました。

 <兄は九州の特別養護老人ホームに入所していますが、ほかの兄弟は亡くなっていません。私たちには子どもがなく、きょうだいの子どもたちとも日ごろからの付き合いがないため、ほぼ二人きりなんです。妻とはこれまで夫婦というよりも人生の相棒としてやってきました。ふたりで困難を乗り越えてきた同志だと思います>

 <そんなとき、私は職場でミスを連発するようになり、内科でかかりつけにしている先生の紹介で大きな病院を受診することになり、そこで下った診断名がアルツハイマー型認知症でした。そのまま大きな病院で診てもらえばよかったのですが、自宅から遠いのに加えて受診がまる1日かかってしまうため、そこの先生に頼んで近くを紹介してもらいました>

 はじめて出会う当事者と医師の間には緊張感があるものですが、中迫さんとの間には何か不思議な「相性の良さ」のようなものを感じました。彼も私にそのようなイメージを持ったのでしょうか。彼はその後もきっちり受診されましたが、ある時から私に強く強く訴えてくるものがありました。それは病気が始まった直後から常に彼につきまとう恐怖、自分が妻のことを忘れるのではないか、という絶望感に近い恐怖なのでした。

家族のつらさに出会う

 別の日には彼の妻がひとりで診療所に来ました。介護の相談ということで会いましたが、診療室の机の前に座ったとたん、私の前で泣き崩れました。妻は現役のホームヘルパーで認知症と向きあう人の苦しみを痛いほどわかっている一方で、家族として夫にはどのように接して良いものかわからず、誰にも相談できなくて絶望感に襲われていました。

 <先生、夫は自分の記憶がなくなっていくことへの恐怖よりも、自分がいなくなった後、残された私のことを心配しています。私も夫の気持ちを思うと声をかけたいのですが、とても迷います。だって、夫を支えるはずの私自身がいつも持っているのは「あの人から私が消えゆく悲しみ」という絶望感だからです。私との日々が夫の記憶から薄れていくとしたら……。夫の大切な思い出から私の存在がなくなっていくなんて、私には耐えられません>

 夫は妻のことを思い、妻は誰よりも大切に思った人の記憶の中から自分という記憶がなくなっていくことの悲しみを私に訴え続ける診療はその後8年続きました。私が中迫さんにできたことは、彼の不安や絶望を受け止めるために会い続けたこと、妻にできたのは彼女が介護職という立場と妻の立場の間で揺れ動くこころと向き合い、その場から離れることなく話を聞き続けることでした。

ともに居続けること

 認知症の当事者と生きる家族にとって「治りたい」「完治させたい」という願いが最優先であることは、いまさら述べるまでもありません。しかし、これまでにも書いてきたように認知症という病気は(仮性認知症を除けば)完全な治療はできません。しかし、経過が安定したものになれば、より良い状態が長く続けられ、病気が悪化しにくいことがわかっています。

 そのプロセスの中で大切な要素が、今回取り上げた「当事者の気持ち」「家族の気持ち」を共に重要視してサポートすることです。私たちには当事者や家族が聞いただけで不安を払拭(ふっしょく)できる魔法の言葉を持っているわけではありません。しかし、わたしたちにはいくつかの選択肢があります。絶望的な気持ちにいる人に寄り添い、少しでも気持ちが軽くなるように努めれば、診断、治療、適切なケア、社会的な支援という大切な流れの中での大切な役割を果たすことができます。

 当事者である中迫さんの「悲しみ」に耳を傾け、話題から逃げることなく付き合って絶望感を軽減するとともに、もう一方の当事者である妻のこころの悲しみにも向き合う姿勢、これこそわれわれが共有しなければならない「まなざし」なのだと思います。

     ◇

次回は「自分の暴力を悔やむひと」について書きます。

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