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大野均、悔いなきラグビー人生 無名の素人からレジェンドに:時事ドットコム - 時事通信

素人が強豪東芝へ

 ラグビー元日本代表のロック大野均が現役生活に別れを告げた。日本代表歴代最多のキャップ98を持ち、ワールドカップ(W杯)は2007年大会から3大会連続で出場したレジェンド。トップリーグで東芝一筋の42歳は、5月22日にオンラインで開かれた引退会見で「選手として、これ以上やり残したことはない」と言い切った。声を詰まらせる場面はあったが涙はなし。パソコンの画面上からでも、完全燃焼できたという思いが伝わってきた。愛称「キンちゃん」の長い競技人生を振り返ってみたい。(時事通信運動部・鈴木雄大)

◇ ◇ ◇

 福島県郡山市出身。両親は農業を営んでいた。福島・清陵情報高で野球に打ち込んだが、3年間ずっと左翼の補欠だったという。「練習は人一倍やった。でも、変化球がバットに当たらなかった」。ラグビーに出会ったのは地元の日大工学部に進んでから。190センチを超える長身を買われ、部員不足に悩む先輩たちに誘われた。

 トップレベルから程遠い東北地区大学リーグの2部。「素人同然でした。サークルみたいなもの」。しかし、国体の福島選抜チームに選ばれて運命が変わる。その果敢なプレーが東芝でコーチをしていた元日本代表の薫田真広氏に伝わり、入団テストを兼ねた練習に招かれて合格した。「親にも見せられない」という猛練習で有名だった強豪の東芝。01年に加入した大野は基本技術からたたき込まれ、鍛えられた。3年後の04年に日本代表に初選出。無名の「素人」が短期間でトップ選手に成長した。

頑健な肉体、高い身体能力

 密集に頭から突っ込み、激しいタックルを繰り返す。こうした泥臭いプレーを長く続けられたのは、優れた身体能力と頑健な肉体があったからこそ。20代のころ、日本代表で計測された運動量は常にトップクラス。スピードもバックスに劣らず、代表戦で試合途中からWTBを任されたこともある。

 大野が初めて出場した07年のワールドカップ(W杯)フランス大会で、印象的なプレーがあった。ウェールズとの第3戦、自陣ゴール前のラックでポロリと相手側にこぼれたボールに鋭く反応。素早く拾って左タッチライン際を大きなストライドで突破し、バックスにつないで最後はWTB遠藤幸佑がインゴールへ。このトライは海外メディアから「今大会で最も美しいカウンター攻撃」と高く評価された。

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