大麻は乱用すると心臓が変形したり、記憶障害に陥る危険性があるものの、カナダやアメリカの一部の州などでは嗜好品として認められています。大麻は17世紀頃、インドからイギリスに広まったとされています。イギリスの人々がどのようにして大麻と出会い、大麻を広めていったのかを、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の歴史学准教授であるベンジャミン・ブリーン氏がまとめています。
Theire Soe Admirable Herbe: How the English Found Cannabis – The Public Domain Review
https://publicdomainreview.org/essay/how-the-english-found-cannabis
1673年、イギリスの東インド会社で船員をしていたトーマス・ボウリー氏は、貿易のためインドのマチリーパトナムを訪れました。マチリーパトナムは活気あふれる港町で、ボウリー氏が初めて港を訪れた際の印象を、著書「A Geographical Account of the Countries Around the Bay of Bengal 1669-1679 (ベンガル湾周辺諸国の地理的記録1669-1679)」の中で語っています。
ボウリー氏は著書の中で、音楽にあわせて踊る毒蛇や、美しい更紗といった異文化に感動したと述べています。しかし、特筆すべきは現地の人々が飲んでいた飲み物、バングーだったとのこと。バングーは紀元前からインドの人々に親しまれており、ボウリー氏はバングーを「嫌悪感のあるアルコール度数の強い飲み物」のようだったと語っています。バングーは主にスマトラ島で栽培された大麻を原料としていました。バングーは21世紀においても、インドで嗜好品として用いられています。
バングーを摂取した人々は、たちまち愉快になり、あらゆる出来事に大笑いし始める人がいる一方で、恐怖や憂鬱、苦悩に打ちのめされる人もいたとのこと。「バングーを摂取することで、消費者の内面の状態が増幅されたり、行動に反映されたりする、一種の心理的な鏡のように見えた」とボウリー氏は述べています。
インドの人々に勧められ、ボウリー氏は同僚たちとともにバングーを試すことにしました。バングーを摂取した同僚たちの様子について、ボウリー氏は「バングーはすぐに効き、1人は床の上に座り、午後の間中激しく泣き続けました。バングーを飲む前から恐怖におびえていた1人は、大きなつぼに頭を突っ込んだまま、4時間以上動こうとしませんでした。気性の荒い1人は、ポーチにある木の柱と戦い始め、指の関節に傷が残るまで戦い続けました。他の4、5人はじゅうたんに横たわり、それぞれが『皇帝になりたい』と話し始めました」と述べています。
バングーの効果を目の当たりにしたボウリー氏は、原料である大麻に、娯楽や薬としての商品価値があると考え、強い関心を持ちました。しかし、大麻を商品として扱うのは17世紀のイギリスでは容易ではありませんでした。大麻を商品として扱うには、医学的にも娯楽的にも価値があることを証明し、イギリスの王立協会に認められる必要がありました。しかし、王立協会が信頼できると判断する証人は、プロテスタントやイギリス人のごく一部で、ボウリー氏のような無名の人物は受け入れられませんでした。また、イギリスの科学者たちは、文化的にも科学的にも、自国の宗教や先住民、植民地に由来する医薬品の精製に努めており、他国の文化や薬品には興味を持ちませんでした。
イギリスに大麻を広めるキーパーソンとなったのは、同じく東インド会社の船員であったロバート・ノックス氏でした。ノックス氏は1670年に、スリランカに位置するキャンディ王国に監禁されていましたが、スループを盗んで海へと逃亡。逃亡中、喉の渇きに苦しんだノックス氏ともう1人の脱走者は、雨水を飲んで乾きをしのいだものの、ひどい発熱を伴う病気に苦しめられました。
ノックス氏は幸運にも逃亡先で保護され、薬として大麻を処方されたようです。「南アジアで解毒剤として用いられていた大麻が持つ、吐き気止めの効果がなければ私は死んでいただろう。大麻を服用した後は病気にならなかった」と述べています。また、ノックス氏は大麻の効果について、「胃を空にした状態で乾いた大麻を朝晩摂取すると、脳が酔い、めまいが起こる」とも述べています。その後、大麻に取りつかれたノックス氏は、1680年9月にロンドンに戻った後も、大麻を独自に調達し、服用を続けました。
1689年11月7日、ノックス氏は、友人であり、王立協会の特別研究員でもあるロバート・フック氏に大麻の葉と種子のサンプルを提供しました。フック氏は日記の中で、「『大麻は健全であるが、一時的に記憶や理解が失われる』とノックス氏から報告された」と書いています。
1689年12月18日、フック氏は王立協会で講演を行い、ノックス氏とフック氏自身を含む患者に対する大麻の投与について説明しました。投与方法は、葉と種をすりつぶして粉末にし、噛んで飲み込むというものでした。フック氏は大麻を投与された患者について「患者は、自分が見聞きしたものを理解できておらず、記憶することもできなかった。自然体のように見えるが、意味のある言葉を話すことができなくなってしまう。だが、患者はとても陽気で、笑ったり歌ったり、話したりもする。ふらふらしたり酔ったりはしておらず、歩いたり踊ったり、奇妙ないたずらをたくさんしていた」と述べています。
大麻によって「理解」や「感覚」が欠落すると把握していたにも関わらず、大麻に対するフック氏の評価は肯定的で「大麻は医学において価値があると証明する」と主張しました。フック氏は、大麻がインドなどでよく知られており、何千人もの人々が服用していたことから、危険性はないと判断していました。また、フック氏は「ロンドンで大麻を生産したい」とも述べており、すでに種から大麻を栽培する準備を進めていました。
結局、フック氏の「大麻は医学において価値があると証明する」という試みは失敗に終わっています。しかし、彼が予見した大麻の可能性は、完全に間違っていたわけではありませんでした。1839年に、アイルランドの医師、ウィリアム・ブルック・オショーネシー氏による研究を経て、大麻のチンキを作成し、医療大麻としてイギリス全土で販売され始めました。
1842年には、大麻は「倦怠感や不安を取り除く薬」として認知されています。フック氏は大麻の流通には失敗していますが、「記憶ができなくなる」といった効果についての分析は正しかったことが分かっています。
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